FFEd FUMIYA& Ed

FFEd FUMIYA & Ed
展覧会ステートメント

  フミヤさんとEdさんは、双方の綿密なコミュニケーションの過程を作品として具現化するために、キャンバスと紙を共有し、互いに手紙を送りあうような形でFeb gallery Tokyoに展示されているすべての作品を共同制作した。キャンバスや紙の受け渡しは、すべてここFeb gallery Tokyoで行った。
 描いて、相手に渡す。相手はその絵を見て何かを描き加える。その二人の姿は、ステージ上でセッションを楽しむジャム・バンドのようでもあり、不可知な世界を理解しようともがく詩人のようでもあり、放課後に交換日記を交換してキャッキャと騒ぐ無邪気な子供のようでもあった。

 ステージ上でセッションを楽しむジャム・バンドのようなふたりについて…

 彼らは、時に即興的に相手から贈られてくるメッセージに返答した。それは具体的なモノであったり、単語であったり、抽象的な輪郭であったりする。
 フミヤさんはFeb gallery Tokyoで作品を受け取ったその瞬間から、キャンバスを指でなぞって、頭の中で早速線を引き始める。Edさんはキャンバスや画用紙を机に置いてしばらく眺め、自身のイマジネーションを筆に乗せるようにして一気に描き上げる。
 二人の描いている姿を観ながら「二人は相手の描いてきた絵を見た瞬間に湧き上がるイメージと、その時の感覚を信じて描いているのだ。」と思った。

 彼らは彼らにしかわからない言語で会話をしていた。
 その会話の痕跡としての絵画作品がFeb gallery Tokyoに並び飾られている。

 不可知な世界を理解しようともがく詩人のような二人について…

 時に、彼らは相手から贈られてきた問いに対して、目をつむり腕を組んで考えた。筆やペンを動かしながら答えを導き出していくこともあれば、筆やペンを置いてなにもせずボーッと空中を見つめていることもあった。その空中を見つめる視線は、相手からの問いをなんとか掴み取ろうとしているかのようだ。しばらく閉じられていた目が開いた時、組んでいた腕をほどいたとき、空中をゆらゆらと漂っていた視線がキャンバスに固定されたとき、すでに筆は動き始めている。
 不可知な世界を見ようとする鋭い目。不可知な世界をつかみ取ろうとするしなやかな腕。それぞれが完全に独立していて、だからこそとても魅力的だった。
 静止する視線と、躍動する身体で即興的に世界を構築していく二人の姿は、まるで詩人のようであった。
 二人の緊迫感のあるインプロビゼーションの過程は、ギャラリーのエントランスを入って右手に飾られているF100号サイズのキャンバスに克明に記録されている。

 放課後に交換日記を交換してキャッキャと騒ぐ無邪気な子供のような二人について…

 時に、彼らはFeb gallery Tokyoで作品を交換し、二人で笑い合ったりした。「そうくるかぁ。」「やったなぁ!コノヤロウ!」「こうすると楽しいなぁ。」
 二人は二人だけの世界の中で、無邪気に笑い合っていた。そこに同席している我々ギャラリースタッフは、楽しそうにじゃれ合うフミヤさんとEdさんに対して、完全な傍観者であり、彼らの楽しそうに遊んでいる姿を、傍からうらやましそうな目で眺める仲間外れにされた子供のようであった。
 笑い声がやんだとき、二人は同じキャンバスを見つめて深く思考している。その思考が結実したとき、二人は再びキャッキャと笑いあうのであった。そのキャッキャと笑う無邪気な笑い声は二人だけのものだ。
 それでも、私たちはここに展示された作品の数々を眺めながら思考を巡らせることで、彼らの輪の中に入ることができる。彼らの笑い声(笑っていた時間)に思いを馳せることができる。

 二人の多面性のある態度がそのまま豊かなコミュニケーションの形態である。彼らは「緊迫感と軽やかさ」が同居するような独特な雰囲気の中で、コミュニケーションの媒介としてのキャンバスに、絵具を置いていくのである。

 「put tu oído cerca de tu alma escucha atentamente.(耳を魂に近づけて注意深く聞く)」*当展覧会作品図録(展覧会場にて販売)を参照のこと。

 そう、まさに二人はお互いの魂に耳を近づけるために、あえて同じキャンバスに筆を走らせたのだ。
 当展覧会ではフミヤさんとEdさんの約3か月にわたる濃密なコミュニケーションの結晶体として、28点の作品を展示いたします。

 Feb gallery Tokyo スタッフ 山口 健太