黒坂祐個展『15万年』ステートメント
黒坂は明け方の薄暗くてモノとモノの輪郭が曖昧になる時間が好きなのだという。
明け方の薄暗い時間の景色は、モノとモノの質がならされたようにのっぺりとしている。そのような風景を目の前にしたとき、色や輪郭によってモノとモノを「見分け」ようとする私たちの癖はほどかれていく。「見分けなければいけない」という強迫観念から、解放されたような気分にもなる。
黒坂の絵画では、すべてのモノが明け方の薄暗さが包む世界のように、同質で均一であり、単体でかけがえのないものとして扱われている。黒坂は、均質にならされたモノの見方のことを、色や輪郭などで差異を強調する見方である「見分け」と対比して、「眺め」と呼ぶ。
私たちは「見分け」というモノの見方に頼って生活している。高度に発達した文明の中で、危険を回避するために「見分け」というモノの見方を活用して生きてきた。
例えば、横断歩道を渡るとき。まず、コンクリートに書かれた白線を見分けて「この場所は向こう側に渡ってもいい場所だ」と認識する。次に、信号機の「青は進め、赤は止まれ」を見分け、その後、車が完全に停止していることを見分ける。というように、横断歩道を渡るという行為一つとっても、そこには三つの「見分け」が介在する。それに加えて、街を歩いている間、電光掲示板を「見分け」たり、建物を「見分け」たり、看板を「見分け」たり。尿意を催した際には、男性用お手洗いと女性用お手洗いを「見分け」たり。
「見分け」という見方を意識して生活してみると、私たちの生活を取り囲むありとあらゆるものは「見分ける」ということを前提に設計されているということが分かる。文明の進歩がヒトに「見分け」の技術の獲得を要請し、いつの間にか私たちは「見分ける」ことに慣れすぎてしまった。獲得してから時間がたつにつれて、私たちは「見分ける」ということに依存するようになった。「見分ける」ことの難しい、明け方の薄暗さを避けるかのように、街灯の明かりで風景を照らし始めた。
そのように仮定すると、一つの疑問が生まれてくる。文明が発達する遙か昔、私たちはどのように世界を眺めていたのだろう。例えば「15万年」前とか。
黒坂の住んでいる地域の地形は15万年前からほとんど変わっていないのだという。
「15万年」という途方もない時間の流れが堆積している。「眺め」というものの見方を考えたとき、黒坂はこの「15万年」という途方もない時間をどのように絵画に導入するのだろうか。
「15万年」前 - マンモスがヨーロッパに現れた。「15万年」前 – 我が国のシンボル富士山は活火山だった。私たちはその時、もっと世界をフラットに均質に認識していたのではないか。見分け区別することのない「眺め」の認識こそが私たちにとってのリアルだった。それから、あまりにも長い時間が流れた。マンモスは絶滅したし、富士山は長い長いお休みの真っ最中だ。その過程で、私たちは「眺める」ことを忘れてしまった。それを思い出すには、どうすればいいのだろう。15万年前というはるか昔の視線を、現在生きる我々が思い出すことなど果たして可能なのだろうか。
この世のありとあらゆる風景は、過去に起こったことの結果として存在していて、現在私たちはそれを見ている。なので、風景と対峙したとき、誰もが時間の流れを「過去→現在→未来」というように一方向に考えたがる。しかし、あらゆる風景に時間が含有されているとするならば、風景には未来から循環的に逆行して届くメッセージが含まれていると考えることはできないだろうか。
黒坂は未来から逆行して流れてくるメッセージを見逃さないように、モノとモノの質を均質化し等価的に扱ったうえで、そこに時間という概念を導入することで、さらに自らの感覚を拡張し研ぎ澄ませて目の前にある風景を「眺め」ている。
ならば、鑑賞者である私たちも、黒坂と同じように「眺め」の視線を獲得するために試行錯誤を重ねよう。文明の進歩という目線から見るとそれは一種の退行に映るだろうが、そんなことは関係ない。
「見分け」という見方を手放し「眺め」という見方の獲得へと向かっていく、その過程は「退行的トレーニング」とでも呼ぶべきイノセントな態度だ。
きっと、「眺め」の感覚を獲得することは難しいことでも何でもないのだろう。幼少期に補助輪なしの自転車に「乗れっこないよ!」と何度も諦めそうになった。でも、ある日いきなり乗れてしまった。その時のように、突然目の前の風景を「見分ける」ことを辞めて「眺める」ことのできる日が訪れるかもしれない。その日まで、黒坂と一緒に諦めず頑張ってみようと思う。
Feb gallery Tokyo 山口健太